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日本のカイロプラクティックの歴史

日本のカイロプラクティックの歴史は1916年にパーマースクールを卒業した川口三郎が帰国して横浜で開業したことに始まります。1918年には神奈川県で「カイロプラクティック取り締まり規則」が制定されました。1930年に東京府警視庁が「療術行為取締規則」を制定し、カイロプラクティック手技は「療術」の一部と定義され各県庁への届出によって営業が許可されました。1923年には日本初のカイロプラクティック団体「日本カイロプラクティック協会」が1921年ナショナルスクール卒業の大澤昌壽、1921年ラトレッジカレッジ卒業の小平粂重によって設立されました。また美座時中など海外のカイロプラクティックを視察し自己で研究して日本に積極的に紹介しようとした者もいました。

戦前、アメリカで教育を受け日本に帰国したDC(ドクター・オブ・カイロプラクティック)は14名ほどいました。日本人初のDC、森久保繁太郎はパーマースクール卒業後アメリカに残りました。川口三郎を初め、田中酉造、芹野伊勢吉、金沢督、大澤昌壽、小平粂重、千葉忠八、播谷高山、横矢重孝、鈴木泰三、櫻庭豊、鴫原伊直、桜井真一、桜井静子。戦争により1930年代から留学者が途絶え、1969年にナショナルカレッジを卒業した竹谷内一愿が戦後初のDCとして帰国しました。

戦後、GHQは医師以外の医業類似行為一切を禁止しようとしましたが、幾つかは難を逃れ制度化されるに至りました。療術に関しては1955年まで既得権を認められ営業が許可されました。1947年全国療術協同組合(現在の全国療術師協会)が結成されて、1955年の禁止期限中止を求めて活動した為、ようやく1964年禁止期限の解除が認められました。

1960年にはHS式無熱高周波療法を行った元炭坑夫が無資格で「按摩師等方違反」に問われた事件で、最高裁判決は「人の健康に害を及ぼす恐れがある医業類似行為にのみ処罰を与える」と言う判決を下しました。つまりカイロプラクティックを含めた療術治療は有害な場合だけ制限があり、無害なら罪にはならないという結果になったのです。この件は1964年に再度仙台高等裁判所に差し戻され「人の健康に害を及ぼす恐れのあるもの」となり有罪で終結しました。

1961年に日本で初めてカイロプラクティックの7団体が団結し「日本カイロプラクティック総連盟」(初期は全日本カイロプラクティック総連盟)が設立しました。7団体は「日米カイロプラクティック協会」(伊藤緑光会長)、関西カイロプラクティック協会(長井幸男会長)、日本カイロプラクティック協会(松本茂会長)、日本カイロプラクティック医連盟(岸田菱山会長)、全日本カイロプラクティック協会(保坂岳史会長)、山形カイロプラクティック協会(斉藤利雄会長)、日本カイロプラクタース協会(吉田盛豊会長)。その後、東京カイロプラクティック協会(竹谷内米雄会長)、香川カイロプラクティック協会、藤川整形外科カイロプラクティック協会(藤川淳敏会長)、北陸カイロプラクティック協会(木村順二会長)、関東カイロプラクティック協会(中島美翠会長)オリエンタルカイロプラクティック協会(山田新一会長)、旭川カイロプラクティック協会(安原岩夫会長)、手技整形カイロプラクティック研究会(塩川満蔵会長)の計15団体が加盟し、アメリカ発祥のカイロプラクティック普及に貢献した治療家達、伊藤緑光、松本茂、竹谷内米雄が所属していました。

1961年、最高裁判決を踏まえ、衆議院社会労働委員会での質疑で「無届療術行為者の看板掲示は、医師法・医療法等の規定に反しない限り、職業選択の自由により制限されない」と答弁しています。按摩・マッサージ・指圧とカイロプラクティックの関係について、1970年宮城県知事の紹介に対して厚生省医務局長は「カイロプラクティック療法は脊椎の調整を目的とする点において、按摩・マッサージ・指圧に含まれないものと解する」と回答しています。

「整体」や「指圧」は中国から伝わった按摩などの治療法を日本独自に江戸時代までアレンジを加えて発展させてきたものに、明治後期以降海外から輸入されたカイロプラクティック(創始者パーマー)、オステオパシー(創始者スティル)、スポンディロセラピー(創始者エイブラムス 後に衰退)などの脊椎に働きかける手技療法の理論と技法を導入し誕生したものです。指圧は1964年、柔道整復師が後に単独法になったため「あんまマッサージ指圧師法」が制定されて、浪越徳治郎の経絡を押す母指圧が主流になりました。初期には視覚障害者を保護する目的で制定されましたが現在では健常者も治療にあたっています。

整体は明治後期から大正にかけて「正体」「整體」など様々な表記がされ昭和初期から「整体」という言葉が主流になりました。この頃、平賀臨、玉井天碧、高橋迪雄、平田内蔵吉などの治療家が普及にあたり多くの著書を出しました。戦後は高橋迪雄の影響を受けた野口晴哉、橋本敬三などが活躍して、業界では整体を統一する試みがなされましたが成功しませんでした。現在でも整体の定義は曖昧で様々な治療法が乱立しています。中にはカイロプラクティックのテクニックを取り入れて整体と標榜しているところも多くあります。

1991年、厚生省は「医業類似行為に対する取り扱いについて」の通達を各都道府県庁に送り、「カイロプラクティック療法の医学的効果についての科学的評価は未だ定まっておらず、今後とも検討が必要である」との見解を示しました。この通達は三浦幸雄研究グループの「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究」をもとに禁忌対象疾患の認識、一部の危険な手技の禁止、適切な医療受療の遅延防止、誇大広告の規制を促しました。

以降、今でもカイロプラクティックは免許制度(国家資格)がない医業類似行為に分類されています。世界では80カ国以上の団体が加盟するWFC(世界カイロプラクティック連合)1988年に設立されたり、WHO(世界保健機関)がカイロプラクティックを代替医療として認めたり、2005年「カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するガイドライン」を発行したりしています。世界の中で大きく出遅れている日本の問題点は、カイロプラクティックを標榜していてもWHO基準のカイロプラクティック学校で教授されているものとは全く異なる技術や理論を学び実践している「自称カイロプラクター」が非常に多いことです。海外で正規なカイロプラクティックを取得した者の一部が、WHO基準以下の学校やセミナーで「自称カイロプラクター」を送り出しているという矛盾点もあります。またそのために他の医師や医業類似行為者の理解が得られず、結果として厚生労働省もカイロプラクティックの免許制度を保留したままです。

1995年にはアジアや日本で初めてのCCE(カイロプラクティック教育審議会)アクレディテーションを取得したRMIT大学カイロプラクティック学科日本校(現在の東京カレッジオブカイロプラクティック)が開校しました。現在WFC(世界カイロプラクティック連合)日本代表団体であるJAC(一般社団法人日本カイロプラクターズ協会)1998年に設立されWHOのガイドラインの基準に沿った形でカイロプラクティックが法制化されるよう活動しています。

2013年国民生活センターからの依頼により、カイロプラクティックの安全性に関するガイドラインとカイロプラクティックの広告に関するガイドラインが日本初の業界ガイドラインとして作成されました。2014年には国民生活センターからの要請を受け、日本カイロプラクターズ協会は利用者の安全性を高める目的で国内カイロプラクティック施術者向け安全教育プログラムを開講しました。  

Shigetaro Morikubo  森久保 繁太郎(1876-1933)
1906年にパーマースクールを初の日本人留学生として卒業。ウィスコンシン州ラグロッソで開業。1907年、東洋人排斥運動とカイロへの偏見にあい、無免許医療行為で告訴される。BJパーマーは森久保逮捕を聞いて救援に駆けつけ弁護士にトム・モリスを依頼。モリスはカイロがオステオパシーや医学と異なることを主張し無罪を勝ち取る。晩年、ミネソタ州ミネアポリスに移住し開業。
Saburo Kawaguchi  川口 三郎(1885-?)
1905年、米国ルーズベルト大統領の招きで山下七段一行の柔道一員として渡米。そこでカイロプラクティックの魅力に惹かれ、1916年にパーマースクールを卒業し帰国。日本に初めて紹介した。1918年、神奈川県で「カイロプラクティック取り締まり規則」を制定。同県の試験免許届出が制定。その後、上海へ移住したが上海事件勃発の為帰国。ハワイ州ホノルルへ旅立ったが消息不明。
Masahisa Osawa  大澤 昌壽(1892?-1956?)
1921年、ナショナルスクールを卒業。1923年、日本初のカイロ団体、日本カイロプラクティック協会を設立し、自身が初代会長、副会長に1921年ラトレッジカレッジ卒業の小平粂重が就任。1924年、東京有楽町のビルで開業。同年、「婦人世界3月号」誌上でマスコミで初めてカイロを紹介。その後「実業之日本社」で取り上げられる。1932年に日本医療界社から「新医術カイロプラクティック」を出版。
Tokinaka Miza  美座 時中(1885-1962)
生来の病弱で重病を患ったが回復。ヨーロッパ、アメリカでカイロプラクティックを中心とした手技療法を視察し取り入れる。1928年、東京でカイロを基礎にした美座療法を開始。1930年「美座式保険治療術」出版。警察署などで講演しカイロ普及に携わる。綜合医科学研究所長、国民保健協会会長、日本工業倶楽部会員。その療法は富山で治療所を開業する姫野源次郎などに受け継がれた。
Ryokko Ito  伊藤 緑光(1901-1990)
1961年、岸田菱山、堤啓護、保坂岳史、中島美翠の5名で団体加盟の全日本カイロプラクティック総連盟を開始。日米カイロ協会会長として初代全日本カイロ総連盟会長に就任。その後東、15団体が加盟。2代目会長には草g大山就任。政界財界の多くの有名人を治療。1968年に日本指圧師会5代目会長に就任。松本茂、竹谷内米雄とともに当時「カイロ界の三羽烏」と言われた。
Shigeru Matsumoto  松本 茂(1897-1992)
病弱な体を大澤昌壽に治療してもらったことが契機で直弟子となる。1929年から開業を始め北海道治療師会の養成で講習を続け「学院型」と名づける治療方法を創った。1948年、大澤会長の後を受け日本カイロプラクティック協会会長に就任。1971年、厚生省主催の「カイロの実演会」に参加し理論と実技を解説。全国療術師協会の理事長としてカイロプラクティックの法制化に尽力した。
Yoneo Takeyachi  竹谷内 米雄(1907-1975)
治療法を伊藤緑光から学び1932年開業。1949年、東京カイロプラクティック協会を主宰。1968年に日本カイロプラクティック総連盟3代目会長に就任。また全国療術師協会の理事を務める。1950年に「可可史」出版。1966年から1974年までカイロプラクティック月刊新聞「カイロプラクチック」を自費出版。1966年、「東京放送テレビ・芥川也寸志土曜パートナー」に日本初、カイロ紹介でテレビ出演。
Naoharu Fujii  藤井 尚治(1921-1997)
1942年、東京大学医学部卒業。軍医として応召。銀座内科院長。カイロプラクティクや漢方を採り入れた独自のストレス診療を行う。1969年、竹谷内米雄とともに「カイロプラクチックの理論・応用・実技」を翻訳出版。1971年、財団法人東京ストレス研究会理事長に就任。1976年日本カイロプラクティック総連盟名誉会長。1983年ナショナルカレッジオブカイロプラクティック名誉法学博士号授与。
Kazuyoshi Takeyachi  竹谷内 一愿(1943-2012)
1968年、ナショナルカレッジオブカイロプラクティック卒業。戦後日本人初のカイロ大学卒業生として帰国。1970年から19年間、日本カイロプラクティック総連盟4代目会長を務める。1984年、ナショナルより名誉法学博士号授与。1995年、世界カイロプラクティック連合より栄誉賞授与。1995年RMIT大学日本校(現TCC)開校に貢献。2009年TCC副学長。2003年日本カイロプラクターズ協会顧問。
野口 晴哉
 吉橋 績
東村 英太郎
山田 新一
浪越 徳治郎
のぐち・はるちか
(1911年-1976年)
松本道別に師事。高橋迪雄の影響を受け整体操法制定委員会として手技療術統一を目指した。社団法人整体協会を設立。野口整体を提唱。
よしはし・いさお
(1913-1977年)
1932年、東京理学療法研究所卒業。英国人宣教師ジョン・バチーラからカイロを学ぶ。北海道治療師会元理事長。東村英太郎、櫻庭豊と交流があった。
ひがしむらえいたろう
大正末から治療師制度化運動を指揮。1974年著書「カイロプラクティック」発行。自身をドクトル・オブ・カイロプラクティックと称し関連著書や神経分布図販売などカイロを普及した。
やまだ・しんいち
アメリカのロジャー・アルトDCに学び、1953年に東京カイロプラクティック学院開校。1957年に東京都認可を受ける。現在の早稲田医療学園の人間総合科学大学である。
なみこし・とくじろう
(1905-2000年)
手指を用いて人体の外表に圧を加え体調を整える指圧療法を体系づけた。日本指圧協会元会長。浪越学園日本指圧専門学校創立者。
田中 酉造 芹野 伊勢吉  金沢 督 大越 勝衛 橋本 敬三
たなか・とりぞう
(1886-1960年)
1914年パーマースクール卒業。カイロプラクティック哲学博士(PhC)取得。オハイオ州クリーブランドで開業。1930年に帰国し、地元福岡の村長となる。
せりの・いせきち
(1886-1968年)
パーマースクール卒業。インディアナ州エバンスビルへ移る。1925年カリフォルニア州で法案が通った際、初の日本人資格合格者。1930年に帰国、福岡市で開業。
かなざわ・ただし
(1889-?)
17歳でシアトルに渡る。パーマースクール卒業。芹野と交友を結ぶ。1921年帰国し、BJパーマー夫妻と息子の日本での案内役を務める。1939年故郷の佐渡に戻る。
おおこし・かつえい
(1912-1998年)
1963年から金沢督に師事し、1956年に日本カイロプラクティック連盟設立。1993年に同連盟名誉会長。全国でカイロプラクティックの講演を行う。
はしもと・けいぞう
(1897-1993年)
新潟医専卒の医師。高橋迪雄の正体術を発展させ患者自身の筋力による動きに操者が抵抗を加える「操体法」創始。1941年温古堂医院開設。
亀井 進 小平 粂重  草g 大山 横矢 重孝 吉橋 昌厚
かめい・すすむ
(1911-1975年)
「療術臨床必携」を編集。1951年藤井療法に影響され、人体の姿勢を12二分類する「身体均整法」を創始。
こだいら・くめしげ
1921年ラトレッジカイロプラクティックカレッジ卒業。1923年日本カイロプラクティック協会の副会長に就任。大澤昌壽と東京有楽町で開業。
くさなぎ・たいざん
1964年日本カイロプラクティック総連盟2代目会長。実行委員長として日本カイロプラクティック総連盟で国際ペインコントロール研究講座開催。
よこや・しげたか
(1876-1976)
高知県出身。1914年読売新聞記者として渡米。ニューヨークスクールオブカイロプラクティック卒業。1926年帰国。
よしはし・まさひろ
(1943-2009)
1980年ナショナルカレッジオブカイロプラクティック卒業。北海道治療師会元会長。RMIT大学日本校開校に貢献。
[参考]
1.「カイロプラクティック事典」科学新聞社 
2.HP・「Chiropractic in Japan」 前田滋
3.HP「カイロプラクティックの歴史」・国際日本人DC倶楽部
4.JCAジャーナル特集号「カイロプラクティック日本の20世紀」・JCA 
5.「カイロプラクティック総覧」・エンタプライズ 
6.「手技療法年鑑」たにぐち書店 2002年〜
7.「PAAC創立20周年記念記念誌「カイロプラクティックの変遷」PAAC
8.「研究報告」日本カイロプラクターズ協会
9.「CHIROPRACTIC An Illustrated History」Peterson D, Wiese G
10.「指圧・整体史」日本指圧師会

11.「指圧療法とは」日本指圧協会

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